判決の宣告がないまま未決拘禁。これは特例措置なのか Eldiario.es
拘置所制度の抜本的な改善に取り組まない限り、我々は無実の人が収監されているという事実を世間に訴え続ける
Article traduït per l’Anyilaisa (@anyilaisa)
各種社会運動団体の関係者やカタルーニャ政府の首脳陣、そしてカタルーニャ議会の議長に対し最初の拘禁措置決定が下されてから1年が経過した。拘禁生活が長期に及んでいるにもかかわらず、判決の宣告もされず、ましてや裁判すら開かれず、司法機関が訴訟の本案に耳を貸さない状況が続いている。
無論、拘禁中の各人に対し、最高裁判所の抗告法廷を含め予審判事の呼出に応じる機会は複数回設けられたが、単に保釈の請求や未決拘禁状態の継続の不当性を検討するにとどまり、身柄拘束の原因を論ずることも、我々の行為を擁護するための議論や違法行為が存在しないことの証明について検討されることもなかった。
我々は無実であり暴力行為など行っていないと断言する。そして己の政治活動の合法性を確信しており、民主的・平和的な手段で自らの思想を守るという固い信念を抱いている。このような考えに基づいて今人々に伝えたいのは、推定無罪の原則が侵害された状況の中、判決の宣告もないまま我々は拘禁されているという事実だ。
この状況によって蒙った個人的な損害や、父と子が引き離されているという家族の苦悩はもちろん存在するが、それ以上に、未決拘禁という例外的で不公平な措置を受けることは、公正な裁判手続を保証する制度に損害を与えることだと考える。未決拘禁措置は最高裁判所の特別法廷の被告人である我々に対し確実に損害を与えるだけでなく、スペインで同様の状況に置かれている7,000人以上の人々に対しても損害が及ぶと思われる。特例と認められた措置は、スペインにいる6万人の収監者の多くに影響を及ぼすのだ。

我々の仲間の何人かは予備的拘禁施設に収監された。我々は、4年後に自分の裁判が開かれるまで塀の中に捕えられている何十人もの人々と拘禁生活を共にした。我々は、この予備的拘禁施設を通じ、裁判を受けられないまま未決拘禁の害を蒙る生き証人となった。この施設には文字通り人々が押し込められており、中にいる人々は司法崩壊の産物であることを我々は知った。そしてこの措置は自由権や推定無罪、適正な裁判を受ける権利などの基本的人権が侵害され機能不全に陥っていることを知った。未決拘禁は国民全員に問題提起しなければならないほどの恥ずべき制度なのだ。
収監や保釈の決定を命じる裁判官の自由裁量の範囲はあまりにも広すぎる。この自由裁量の範囲は、前提となる規則や必要な法的条件が規定されておらず、高度な民主主義を掲げる国ならどこでも基盤としている、自由権という基本的人権の保障と真っ向から対立するものだ。
予備的拘禁措置とは、明らかな必要性がある場合、そして拘禁と同様の効力を得られ且つ自由権の制限がより軽微な他の代替手段が存在しない場合にのみ採られる措置であることを忘れてはならない。
我々が最高裁判所に出頭した際、判事は我々に逃亡の危険性があると述べた。もし判事がその危険性があると考えているのであれば(拘置所に収監されているときの我々の態度を鑑みればその危険性を測るのは困難だ。我々は出頭命令には常に定刻通り厳格に従っていたからだ)、この21世紀の世の中で逃亡の危険性を確実に排除する措置というのは存在しないのだろうか、という疑問にぶつかる。明らかにそうした措置は存在する。
再犯の可能性に関し、未決拘禁を正当化する理由の一つとしてリャレナ判事は我々が独立主義者であることを挙げている。この理由は、同判事の言葉を借りれば「カタルーニャの独立を断念するとの確証がないという政治的背景」と根源を共にする考え方だ。つまり、我々が拘禁されているのは我々の政治的思想が原因であり、カタルーニャの自己決定権を放棄しないからなのだ。
未決拘禁者は自由を奪われ、防御の手段や手順をも限定されている。なぜなら、長きに亘る拘禁期間が我々の心身に損害を与えるのみならず、権利の不平等も存在するからだ。検察、VOX、スペイン政府側の弁護団の告訴手続は、期間も手段も手順も制限を全く受けることはなく、我々の告訴の状況とは全く異なった手続きがなされたと思われる。こうした事実により平等の原則が侵害されていると言わざるを得ない。
つまり、予審判事の自由裁量による決定は4つの基本的人権を侵害していることは一目瞭然だ。その基本的人権とは、自由権、推定無罪、平等の原則、公正な裁判を受ける権利だ。特例措置が常態化するならば、未決拘禁施設は濫用されるであろう。
新たな規則が制定されるまで、そして自由権の制限措置の概念が根本的に改善される日がくるまで、自分たちは無罪であり、未決拘禁措置に値する行為をしていないにもかかわらず拘禁されているという事実を、我々は事ある毎に世間に向け発信し続けるつもりだ。そして最終的に無罪判決を勝ち取ったときには司法制度の欠陥を明らかにすることになるであろう。無罪判決は我々が蒙った損害の埋め合わせにはならないであろうが、将来同じような状況が生じるのを防ぐために役立つかもしれない。
記事の翻訳者: Anyilaisa (@anyilaisa) カタルーニャ語・スペイン語を学ぶ日本人
Article traduït per Anyilaisa (@anyilaisa) segons el meu millor coneixement del castellà.
出典: エル・ディアリオ紙 Eldiario.es @eldiario.es
寄稿者:
ジョルディ・サンチェス(Jordi Sànchez) @jordialapreso
ジョアキム・フォルン(Joaquim Forn) @quimforn
ジョルディ・トゥルイ(Jordi Turull) @jorditurull
ジュゼップ・リュイ(Josep Rull) @joseprull
2018年10月21日、リャドゥネルス刑務所内にて
記事の発行日: 2018年10月26日